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生産年齢人口、8000万人割れ

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生産年齢人口、32年ぶり8000万人割れ 総務省推計 

2014/4/15 日経新聞



 
総務省が15日発表した2013年10月時点の推計人口によると、数値を公表し始めた1950年以降、15~64歳の生産年齢人口が32年ぶりに8千万人を割り込んだ。一方で65歳以上の高齢者(老年人口)は過去最高の25.1%に達した。
 推計人口は国勢調査をもとに、毎月の人口移動などを加味して算出するもので、毎年4月に前年10月時点の数値を公表している。総人口には定住外国人を含めている。
 15~64歳の生産年齢人口は前年より116万5千人減って7901万人。総人口に占める割合は62.1%。
 65歳以上の高齢者は前年より110万5千人増えて3189万8千人。総人口に占める割合は25.1%と過去最高を更新した。
 定住外国人を含む総人口は1億2729万8千人で3年続けての減少。前年比で21万7千人減り、減少幅は3年連続で20万人を超えた。


ふたりのゆかりの味を考案。ソーダビスケット、シソ入り菓子パン、にごり酒。

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漱石、子規を研究する関宏夫さんらは、ふたりのゆかりの味を3点考案。ソーダビスケット、シソ入り菓子パン、にごり酒。
 
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漱石と子規は房州鋸山で目覚めた--漱石・子規と鋸南町保田

漱石と子規は旧制第一高等中学校の同窓生であった。漱石は明治22年8月7日から10日ほど保田に滞在した。鋸山に登り、海水浴を楽しんだ。このときの様子を紀行『木屑録』として執筆し、子規に渡した。
刺激を受けた子規はさらなる詩想を求めてその2年後に保田を訪れた。鋸山に登り、大海を眺望したのちこれを紀行『かくれみの』に著した。
『木屑録』と『かくれみの』を相互に批評し合い、二人の友情は次第により深まっていった。二人の文学に対する素地は房州鋸山で磨かれたのである。生涯、二人の絆は決して揺らぐことはなかった。


漱石・子規房州鋸山顕彰会ホームページ

「通心」No48. 2014.4.14

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次回同期会の予定
詳細は7月下旬ごろ案内の予定

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「回復続くも弱い動き」 1年5カ月ぶり下方修正

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4月月例報告「回復続くも弱い動き」 1年5カ月ぶり下方修正 

2014/4/17 17:29

 政府は17日発表した4月の月例経済報告で、景気の基調判断は「緩やかな回復基調が続いているが、消費税率引き上げに伴う駆け込み需要の反動により、このところ弱い動きもみられる」とし、2012年11月以来1年5カ月ぶりに判断を引き下げた。
 消費増税前の駆け込み需要に伴う反動減の影響が個人消費や輸入、生産、住宅建設でみられたためだ。ただ、内閣府は「増税に伴う駆け込み消費の反動減は予測されたもので一時的」としており、設備投資や雇用が底堅いことから「景気の回復基調は続いている」と分析している。
4月の月例報告
 4月の月例経済報告は国内景気の基調判断を「緩やかな回復基調が続いているが、消費税率引き上げに伴う駆け込み需要の反動により、このところ弱い動きもみられる」とし、2012年11月以来1年5カ月ぶりに判断を引き下げた。消費増税前の駆け込み需要に伴う反動減の影響が個人消費や輸入、生産、住宅建設で広がった。
 今回の総括判断と主な変更項目は以下のとおり。カッコ内が3月判断。
【国内景気】
◎基調判断〔↓〕 1年5カ月ぶりの下方修正
 緩やかな回復基調が続いているが、消費税率引き上げに伴う駆け込み需要の反動により、このところ弱い動きもみられる。
(緩やかに回復している。また、消費税率引き上げに伴う駆け込み需要が強まっている)
◎先行き
 当面、消費税率引き上げに伴う駆け込み需要の反動により弱さが残るものの、次第にその影響が薄れ、各種政策の効果が発現するなかで、緩やかに回復していくことが期待される。ただし、海外景気の下振れが、引き続き我が国の景気を下押しするリスクとなっている。
(輸出が持ち直しに向かい、各種政策の効果が下支えするなかで、家計所得や投資が増加し、景気の回復基調が続くことが期待される。ただし、海外景気の下振れが、引き続き我が国の景気を下押しするリスクとなっている。また、消費税率引き上げに伴う駆け込み需要の反動が見込まれる)
◎個人消費〔↓〕 7カ月ぶりの下方修正
 消費税率引き上げに伴う駆け込み需要の反動により、このところ弱い動きとなっている
(消費税率引き上げに伴う駆け込み需要もあって、増加している)
◎住宅建設〔↓〕 2カ月連続の下方修正
 消費税率引き上げに伴う駆け込み需要の反動により、減少している
(消費税率引き上げに伴う駆け込み需要の反動もあって、増勢が鈍化している)
◎輸入〔↓〕 1年8カ月ぶりの下方修正
 このところ増勢が鈍化している
(このところ増加している)
◎生産〔↓〕 1年6カ月ぶりの下方修正
 消費税率引き上げに伴う駆け込み需要の反動の影響もあって、おおむね横ばいとなっている
(消費税率引き上げに伴う駆け込み需要の影響もあって、増加している)
◎業況判断 表現変更
 幅広く改善している。ただし、先行きに慎重な見方となっている
(幅広く改善している)
◎国内企業物価 表現変更
 横ばいとなっている

日銀「期待」という魔物との勝負

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 日経新聞記事抜粋
株高・円安を軸にしたアベノミクス相場の勢いがしぼみそうになるなかで、日銀がみずから望んで市場に生み出した「期待」という魔物が、一段の対応を日銀に催促する。金融政策運営は微妙な局面を迎えた。
 昨年4月、「2年後に2%の物価上昇」という目標を掲げて異次元緩和を導入した際、日銀は「期待への働きかけ」を実現への起爆剤と位置づけた。実際、「日本は変わる」との見方は市場を大きく動かした。円安が物価上昇と株高の起点となり、景気回復と物価のプラス転換の流れを生んだ。
 日銀にとって誤算だったのは、市場参加者の多くが「2年で2%は難しい」との見方をなかなか崩さないことだ。消費増税後の景気減速懸念も手伝い、「日銀は追加緩和に動く」との空気は強い。日銀が植えつけた期待は「市場の勢いが失われれば、日銀が何とかしてくれるはずだ」という依存へと変貌した。
 ここ最近、市場で起きた日銀の金融緩和を巡る騒ぎをどうとらえるか。8日の金融政策決定会合後の記者会見で、黒田東彦総裁が「追加的な緩和は現時点では考えていない」と語り、失望の円買い・株売りを誘った。15日の安倍晋三首相と黒田総裁との会談を巡っては、その意図や内容を巡り、市場参加者の思惑が激しく交錯した。

 日本の株安の底流にあった米国株式相場の下げがいったん収まったこともあり、騒ぎは一服しつつある。一時優勢だった「4月緩和」の思惑は後退してきたようだ。日銀の執行部には「この程度の騒ぎで早期緩和観測を鎮めることができたのなら御の字」という姿勢が見え隠れする。
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 とはいえ、日銀が市場を制御できたとみるのは早計だろう。米株価が反発した後も、米長期金利の低下傾向は変わっておらず、円相場は横ばい圏の動きが続く。米国の景気指標の急改善といった海外発の支援材料がない限り、アベノミクス相場の初期や昨年秋から年末にかけてのような円安を起点とした株高は目先、なかなか想定しにくい。折に触れて追加緩和観測が高まることは間違いないだろう。実際、市場関係者やエコノミストの間では「追加緩和は7月がメーンだが、5、6月もありうる」といった声が多い。
 日銀は景気や物価のシナリオに自信がある限りは「市場を説得する」という正面突破作戦で乗り切る腹づもりのようだ。本来、緩和が不要なほど経済や物価情勢が良好であれば、株式相場には追い風のはずだという思いがある。黒田総裁が8日に「(需給ギャップは)ほとんどゼロに近くなっている」と発言したことは、そのことが「市場との夏場の大勝負」の決め手になると見定めているからにほかならない。
 消費増税後の企業による価格設定の状況は不確定要素だが、日銀と市場は「夏までは消費増税分を除いた物価上昇率が1%台前半で推移する」という見方でおおむね一致している。問題は夏以降。市場の懐疑派は、円安の効果が一巡し、物価上昇の勢いが鈍ると見込む。2%の物価上昇シナリオが怪しくなり、日銀が追加緩和に打って出るという見方だ。
 これに対し日銀は、経済の好循環に根ざした需要押し上げ型の物価上昇がいよいよ本格化すると踏む。企業短期経済観測調査(短観)や企業への聞き取り調査から、建設業界や外食産業などでの人手不足や、工場などの資本ストックの稼働率の高まりといった現象を把握。経済全体の需給の引き締まりが物価を押し上げるシナリオに望みを託す。

 黒田総裁がゼロに近いと主張したのは、日本の労働力や設備が無理なく生み出せる潜在GDP(国内総生産)を推計し、実際のGDPとの差をみるGDPギャップのこと。最近まで「相当な幅をもってみる必要がある」(幹部)として、前面に出すのをためらっていたデータだ。
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 実は直近の金融経済月報にも「十分な幅を持って」と記載されている。現行の推計方法を採用した際にまとめた2006年のリポートにも「GDPギャップが『ゼロ』であることに対して、理論的に特別な意味が付与されるものでは必ずしもない」とある。それでもあえて「ゼロ」を強調するのは、黒田総裁が勝負に出た証しといえる。同時に、納得しようとしない市場に、いらだちを強め始めている証しのようにも映る。
 「民間と日銀とで、需給ギャップや物価見通しについて見解の相違があるのはそのとおり。今後とも市場参加者、企業などと政策の考え方や経済物価情勢の見方などついて、十分な対話を重ねて理解を得ていくことが重要」。16日の衆院財務金融委員会で、黒田総裁はこう語った。言外には「市場は間違っているはずだ」というニュアンスも感じられた。
 日銀の見込みどおりになれば、インフレに強い株式相場には追い風だし、インフレに弱い通貨には逆風となる。だが、市場が夏までおとなしく待てるだろうか。株式市場が飢えているのは、日銀が描く明るいシナリオよりも「追加緩和」というイベントそのものである可能性が高い。そして安倍晋三政権も、市場の期待に応える日銀像に「期待」を寄せる。株高・円安の継続こそがアベノミクスの生命線だからだ。日銀は市場との勝負の行く末を見極めるだけの猶予を与えられるのか。市場や政権が抱く期待という魔物との勝負は、これからだ。

漱石 いま世界が読む「こころ」

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漱石 いま世界が読む「こころ」100年シンポ・全集や新訳も

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漱石の作品と時代

漱石・子規房総鋸山探勝碑 序幕式


SOSEKI 多彩な顔 米国で国際シンポ

鴎外ゆかりの記念碑移築 足立・千住中居町公園

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鴎外ゆかりの記念碑移築 足立・千住中居町公園 


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作家で軍医でもあった森鴎外が文章を起草し、一九一六年に建立された足立区の「大正記念道碑」が、倒壊の恐れなどから、これまであった墨堤通り沿いから百五十メートルほど離れた千住中居町公園(中居町二四)に移築された。二十七日、除幕式と記念講演会が行われる。 (東京新聞) 
 
 大正記念道は約百年前、荒川放水路の開削で水が断たれた用水路「西掃部(かもん)堀」を埋め立てて誕生。大正天皇即位を記念し、大正新道と名付けられた。
 千住にはかつて、郡医を辞した鴎外の父静男が開業した「橘井堂(きっせいどう)森医院」があり、ドイツ留学を控えた鴎外自身も、わずか四年ほどだが医院を手伝いながらここから陸軍病院に通ったという。
 
 新道誕生を祝う記念碑を地域の人々の寄付で建立する際、東大医学部で鴎外の後輩に当たる地元の名士、故名倉謙蔵らが、当時すでに文京区の団子坂に転居していた鴎外を訪ね、碑文の寄稿を依頼。快諾した鴎外は、漢文学者に完成文の添削を頼むほど起草に力を入れたという。
 仙台石でできた碑は、高さ約三メートル、幅約一・二メートル。当時の東京府知事井上友一が「大正記念道碑」と篆額(てんがく)をしたため、その下に、新道開通までの経緯や碑文を頼まれたいきさつが、鴎外の起草した漢文で刻まれている。
 
 六年前、区の歴史研究会「足立史談会」が地域住民や医師会などに呼び掛け、鴎外の旧宅・橘井堂医院跡地(現在の足立都税事務所前)に文学碑を建立。都税事務所移転のため、この碑も一時的に撤去されている。
 
 今回の碑の移築も、足立史談会が奔走し区の助成を受けて実現した。会長の堀川和夫さん(80)は「交通量の多い墨堤通り沿いから公園内の安住の地へ移り、鴎外先生も喜んでいるのでは。今後も碑を通し、千住と鴎外とのつながりや、町の歴史を伝えていきたい」と話す。
 
 除幕式は午後二時から。講演会は午後三時から、公園近くの区立千寿青葉中学で。鴎外生誕の地、島根県津和野町の森鴎外記念館館長山崎一穎(かずひで)さんが「千住と鴎外」と題して講演する。参加無料。

鷗外と千住

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史跡 千住の?外碑
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足立都税事務所入口の植え込み(千住1-30-8)に建立されていた。

明治時代の文豪・森鴎外の、あまり知られていない千住との関係を顕彰しようと、足立史談会と地域住民らが立案した。

石碑が建立された場所は、鴎外の父静男が郡医を辞し、「橘井堂(きっせいどう)森医院」を明治14年に開業した地にあたる。鴎外はドイツへ留学するまでの4年間を過ごした。

鴎外にとって千住は、文筆活動と医学を志すきっかけとなった地とされている。当時の一流文筆家を堂々と批判する初めての投稿を読売新聞にしたほか、「医師開業願」を提出しているためだ。

石碑には、鴎外が明治44年に発表した短編『カズイスチカ』の一節が刻まれた。この短編は、父の診療姿勢が欲得ではなく、患者にわけ隔てない態度であったことを描く。宿場町の医者に甘んじていると思っていた父を見直し、あらためて尊敬するようになった鴎外の精神的成長をうかがうことができ、味わい深いがある。

向島 曳舟通りの家  ?外旧居跡碑
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子規と長命寺 桜もち

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正岡子規は、慶応3年9月17日、父常尚(つねなお)、母八重の長男として出生。本名を常規(つねのり)といい、「子規」というのは号である。幼名を処之助(ところのすけ)といい、4・5歳のとき、升(のぼる)と改名した。
子規は、明治6年に末広学校に入学、
8年に勝山学校に転入し、卒業後、松山中学校に入学、5年で中途退学。
明治16年6月に上京し、共立学校(現・開成高校)から、大学予備門を経て、東京帝国大学哲学科に進学、後に国文科に転籍した。共立学校では、秋山真之と同級。さらに、
明治22年、大学予備門で夏目漱石と出会い、交友が深まる。同年5月、喀血し、血を吐いて歌うホトトギスになぞらえて「子規」と号した。
明治27年、根岸の子規庵に転居。
明治28年、日清戦争の従軍記者として遼東半島に渡るが、帰路、大喀血。神戸の須磨で療養後、郷里の松山に赴く。激しい腰痛(のちに脊椎カリエスと判明)に悩まされるようになり、以後、寝たきりの生活が続いた。
明治31年、新聞「日本」の俳句欄の選者となるが、病状はいよいよ悪化。明治34年1月から「墨汁一滴」、9月から「病臥漫録」を連載。明治35年5月から「病状六尺」の連載をはじめ、亡くなる二日前まで書き続けた。
明治35年9月18日、絶筆三句を書き、翌19日、満35歳というの短い生涯を閉じた。子規の墓所は、東京・北区・田端の大龍寺にある。
子規は、万葉の時代から歌い継がれてきた和歌、松尾芭蕉に代表される俳諧、つまり、何人かの人が共同して作る文学、いわゆる連歌を、その最初の五七五の17文字だけを取り出して独立させることにより個人や個性を重んじる近代文学と相通じる文学(俳句文学)として確立した。
子規が、35年という短い生涯に詠んだ俳句の数は、2万3千6百余りといわれ、満35歳で亡くなる直前まで、俳句を作り続けた。そして、子規は、古き形式の文学に飽き足らず、常に新しきを求め、文学の改革にあくなき情熱を燃やし、広い分野に亘る文章文学の革新に、一生を捧げたのである。


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ネモフィラ チューリップ

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今年の作品
iPhoneで撮りました。

正しい家計管理

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会社経営の会計を家計管理に 『正しい家計管理』林總著


消費税増税で家計の節約志向が高まる中、今までとは少し違った全く新しい家計関連の書籍。
 著者は『餃子屋と高級フレンチでは、どちらが儲かるか?』(ダイヤモンド社)などの著書を持つ会計のプロ。
 本来の家計簿は貯金と節約を最終目的としていますが、この書籍では自動的にお金が貯まり、収支が黒字になるパターンを作り、「見える化」しているところが特徴として挙げられます。
 さらに予算を立てて収入の範囲内で支出するという会社経営の会計を家計管理に取り入れているところが斬新です。
 将来の見通しが不透明な中、家族が幸福に暮らせるよう考えていく際におススメの一冊です。

公会計が自治体を変える

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公会計が自治体を変える 宮沢正泰 著 淺田隆治 監修 第一法規
 
総務省新公会計作業部会の自治体代表委員が、全国の自治体に要請される新公会計実務のポイントをわかりやすく解説。「固定資産台帳の整備」と「複式簿記」を先進自治体の具体例に基づき解説。
第1章 新公会計制度で複式簿記を始めよう!
第1節 新公会計制度って何?
1はじめに
2現在の公会計制度とは?
3公会計改革実現のための法律とは?
4具体的に何をすればいいの?
5財務書類4表はどうやって作成するの?
6公会計整備の必要性について
【コラム1】 建設公債主義で財政規律を守れるのか?
第2節 簿記の歴史
1はじめに
2冒険商品「マサヤ」(架空人物)のもうけ話
3会社組織の誕生!
4日本での簿記の導入は?
5明治政府はなぜ複式簿記をやめたのか?
6半世紀前に複式簿記化へのチャンスが
【事例1】白鳥初代習志野市長から学ぶ
第3節 ゲーテが賞賛した複式簿記とは?
1はじめに
2簿記のルール
3発生主義の基本的な考え方
【コラム2】簿記の筆となる若者は誠の男!与謝野鉄幹の詩

第2章 新公会計制度の実務のポイントと工夫
第1節 固定資産台帳の整備について
1はじめに
2資産の洗い出し作業を行うにあたって
3重要な資産は何か?
4土地の洗い出しと評価について
5まとめ
【事例2】道路の評価をどうしたか?
第2節 引当金について
1はじめに
2引当金とは
3引当金の種類について
4貸倒引当金の必要性
5まとめ
【事例3】習志野市の貸倒引当金算定研修から
第3節 バランスシート探検隊事業について
1はじめに
2習志野市バランスシート探検隊の結成
3習志野市バランスシート探検隊による活動の成果
4おわりに
【事例4】バランスシート探検隊のその後
第4節 市の家計簿をチェック事業びついて
1はじめに
2企画の内容について
3企画の周知について
4家計簿チェック事業について
5おわりに
【事例5】フィナンシャルプランナーから学ぶ
第5節 公会計改革の体制整備について
1はじめに
2人材育成の必要性
3人材の発掘について
4求める公会計担当者について
5公会計業務の所管は?
6公会計担当になりたい人はいるのか?
7自主的な勉強会から公会計のサポーターを育てる
8復活した自主的勉強会
【コラム3】公会計サポーターからのメッセージ
第6節 公共施設の再生計画について
1はじめに
2財務報告書から分かったこと
3公共施設の取組
4公共施設再生計画基本方針
5大久保地区公共施設再生プロジェクト
6おわりに
【事例6】公共施設再生のための基金条例
第3章 総務省の新基準と自治体への新たな要請
第1節 総務省の中間骨子について
1はじめに
2「今後の新地方公会計の推進に関する研究会」とは?
3統一モデルは実現できるのか?
4国際公会計基準(IPSAS)で統一ができるのか?
5基準モデルが統一モデル?
6基準モデルにおける事務処理例
第2節 総務省の中間とりまとめについて
1はじめに
2今後の実務上の課題と対応の方向性
3今後の地方公会計推進のスケジュール
4まとめ
第3節 総務省の最終報告書に向けて
1総務省研究会に2つの作業部会を設置
2固定資産等の作業部会の委員に就任
3作業部会がスタート
第4節 固定資産台帳の整備目的・記載項目
1「中間とりまとめ」における記述について
2論点整理の考え方
第5節 固定資産台帳の記載対象範囲
1「中間とりまとめ」における記述について
2新地方公会計モデルにおける資産の定義とは
3所有外資産の取扱い
4所有資産のうち資産として登録しないものの取扱い
5台帳整備の方向性
第6節 固定資産台帳の計上単位
1「中間とりまとめ」における記述について
2課題・論点と整理の考え方
3計上単位の原則
4個別的事項
5台帳整備の方向性
第7節 固定資産台帳の整備手順等の実務
1論点整理の考え方について
2庁内の体制整備の必要性
3固定資産台帳整備の流れ
4庁内体制整備の例
5まとめ
第8節 固定資産台帳の活用に関する事項
1論点整理の考え方
2資産管理のデーターベース化
3資産・財政状況の把握・分析
4施設更新の将来見通し
5施設白書等の作成
6まとめ
第9節 複式簿記の導入に関する事項
1「中間とりまとめ」における記述について
2論点整理の考え方
3複式簿記の程度の比較
4期末一括仕訳(習志野市作成資料)
5整理の方向性
第10節 財務書類の作成基準について
1作成基準についての提言
2財務書類の体系について
3その他の基準の方向性
おわりに
 
 

ルーズヴェルト・ゲーム

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ルーズヴェルト・ゲーム  池井戸 潤 著  講談社

内容紹介

待望の連続ドラマ化!TBS日曜劇場で2014年4月にスタート(主演:唐沢寿明)

中堅メーカー・青島製作所の野球部はかつては名門と呼ばれたが、ここのところすっかり成績低迷中。会社の経営が傾き、リストラの敢行、監督の交代、廃部の危機・・・・・・。野球部の存続をめぐって、社長の細川や幹部たちが苦悩するなか、青島製作所の開発力と技術力に目をつけたライバル企業・ミツワ電器が「合併」を提案してくる。
青島製作所は、そして野球部は、この難局をどう乗り切るのか?
負けられない勝負に挑む男たちの感動の物語。

内容


廃部寸前----- 創部以来の危機に陥った青島製作所野球部は「奇跡の逆転劇(ルーズヴェルト・ゲーム)」を見せられるのか!?
ライバル者の策謀に立ち向かう男たちの熱い戦いが始まる!


「一番おもしろい試合は、8対7だ」野球を愛したルーズヴェルト大統領は、そう語った。

監督に見捨てられ、主力選手をも失ったかつての名門、青島製作所野球部。
創部以来の危機に、野球部長の三上が招いたのは、挫折を経験したひとりの男だった。 一方、社長に抜擢されて間もない細川は、折しもの不況に立ち向かうため、聖域なきリストラを命じる。野球部の存続をめぐって、社長の細川や幹部たちが苦悩するなか、青島製作所の開発力と技術力に目をつけたライバル企業・ミツワ電器が「合併」を提案してくる。青島製作所は、そして野球部は、この難局をどう乗り切るのか?
人生を賭した男達の戦いがここに始まる。

【著者紹介】
池井戸潤 : 1963年、岐阜県生まれ。慶應義塾大学卒。1998年、『果つる底なき』(講談社文庫)で第44回江戸川乱歩賞、2010年、『鉄の骨』(講談社文庫)で第31回吉川英治文学新人賞、2011年、『下町ロケット』(小学館文庫)で第145回直木賞を受賞

子規庵を訪ねる

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子規庵を訪ねる

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子規庵

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子規絶筆三句碑

「草枕」の舞台、歩いてたどる 玉名で催し

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熊本)「草枕」の舞台、歩いてたどる 玉名で催し

毎日新聞(村上伸一)
2014年5月4日03時00分
写真・図版
「草枕」に描かれたミカン畑の周辺を歩く参加者たち=玉名市天水町
 
 夏目漱石の小説「草枕」の舞台となった玉名市天水町で3日、漱石の足跡などをたどるウオーキングの催しがあった。県内外から約180人の家族連れらが参加し、地元のガイドから歴史などの説明を受けながら、起伏の多い土地を歩いた。5日まで。
 熊本市に住んでいた漱石は1897(明治30)年の暮れに歩いて峠を越え、天水町にやって来た。「草枕」には「鶯(うぐいす)が所々で鳴く。左り手がなだらかな谷へ落ちて、蜜柑(みかん)が一面に植えてある」との描写があるが、それと変わらぬ風景が今もある。
 催しの名称は「みかんの花 ミステリーウオーク」。今年で10回目となる。
 旧天水町役場の広報担当として草枕を町おこしに役立て、今回の催しも運営する小山芳弘さん(65)は「草枕でミカン畑の中の道筋について『路(みち)は幾筋もあるが、合うては別れ、別れては合うから、どれが本筋とも認められぬ』と迷路のようにたとえた部分があり、そこからミステリーと名付けた」と語った。
 涼風を感じながら5キロのコースを1時間40分。荒尾市から夫婦で参加した中満幸則さん(67)は「学生時代から漱石の小説は印象に残っていて、景色を見ながら土地とのつながりを十分楽しめた」と話した。
 催しはほかに、天水町出身の俳優「笠智衆コース」(8キロ)や「農村景観コース」(6キロ)がある。いずれも参加無料。問い合わせは草枕交流館(0968・82・4511)へ。

漱石の長じゅばんや山頭火の手紙など展示

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熊本)漱石の長じゅばんや山頭火の手紙など展示

 
2014年5月6日(毎日新聞)
写真・図版
 
夏目漱石が愛用した長じゅばんなどが展示されている=熊本市中央区出水2丁目
 
 熊本近代文学館熊本市中央区)で、熊本ゆかりの作家ら約40人の特別収蔵品展が始まった。1985年の開館以来、展示機会が少なかった資料を中心に展示している。
 改装に伴う7月からの休館を前に、これまでの活動を振り返る企画。収蔵する約3万6千点の資料のうち、453点を展示する。
 この中には、夏目漱石が愛用した長じゅばんや猫のスケッチ画、旧制第五高等学校(現熊本大)時代の1897年に、水前寺や江津湖などを詠んで親友の正岡子規に送り、朱をいれられて返送された句稿がある。種田山頭火が熊本滞在時に知人あてに書いた借金申し込みの手紙や、三島由紀夫川端康成が熊本在住の作家らに送った手紙もある。
 また、「夕鶴」などで知られる五高出身の劇作家、木下順二の生誕100年を記念したコーナーも開設。本人寄贈の資料をもとに、明治初期の青年群像を描いた戯曲「風浪」の取材ノート、俳優の宇野重吉や中国の元首相、周恩来らと撮影した写真などを展示している。
 6月30日まで。入館無料。問い合わせは文学館(096・384・5000)へ。(坂本康浩)

都営荒川線に乗車

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都営荒川線雑司ヶ谷付近
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