千葉県立図書館です。
さきにご依頼のありましたメールレファレンスについて回答します。
受付番号:6000016271
質問の題:明治20年ごろの利根川の通運・交通について
<質問内容>『木屑録』文中に登場する房総の地名は、保田、小湊、東金、銚子、三ツ堀等である。
銚子、三ツ堀間は利根川の海運・交通(舟)を利用したとのこと。
そこで、利根川の当時の通運・交通状況を把握できる資料等を紹介されたい。
追加情報あり 6000016308
<回答>追加情報のご提供、ありがとうございました。
この中にあった、汽船や、航路に関する資料の所蔵も念頭に置き調査いたしましたが、とりあえず「利根川の海運、交通」関連の資料からお知らせいたします。
近代の利根川関係の河川交通資料として比較的まとまっているのは、【資料1】『図説・川の上の近代 通運丸と関東の川蒸気船交通史』です。この本は平成19年開催の江東区中川船番所資料館・物流博物館・吉岡まちかど博物館3館における合同展「川の上の近代 川蒸気船とその時代」の展示解説図録です。とくに関東地方の蒸気船の代表的存在といえる内国通運会社の通運丸を中心に取扱いながら蒸気船が各地の河岸に与えた影響や蒸気船による旅の様相をまとめています。(「はじめに」より)
ご依頼の年代、地区とぴったり一致するわけではないのですが、以下に、明治20年頃の銚子、三ツ堀関連の河川交通について、掲載の箇所をご案内します。
・p112?「明治期・関東地方における蒸気船交通史の概観-利根川流域を中心に-」という解説があり、p116「明治18年初頭、利根川流域航行蒸気船一覧」の表は航路、船名、定繋場、定航地方などが掲載されています。定繋場-定航地方の組み合わせが「銚子」「三ツ堀」になっている船については下川航路で「銚子汽船」所有の「第1銚子丸」等3種掲載されています。
・p11「同盟関係の成立と航路の安定」の項で、「明治10年代後半の航運会社との競争を通じ、利根川水系では内国通運・銚子汽船・木下の吉岡家などによる同盟が成立します。明治20年代に入ると、主に江戸川・上利根方面は内国通運、下利根方面は銚子汽船・吉岡家という棲み分けが成立し、内国通運の航路も安定していきます。」と記載されています。
・p8は(通運丸の)「初期の航路延長(明治10年(1877)5月就航?同19年(1886)まで)」の表によると下利根霞ヶ浦方面に内国通運会社決算報告18年による、出発地が三ツ堀で終着地が銚子という項目があり、備考欄には「高田丸2艘購入により航路拡張」と記載されています。
・p12「通運丸の航路の変遷(明治20年以降)の項目で、
<明治21年(1888)の航路>に東京?鉾田・銚子線:汽船3艘/
東京?鉾田、銚子間という航路の掲載があります。
・p68「蒸気船の旅」の項目に日記に描かれた城沖線の旅「東京旅日記」の項目があり、明治時代の老夫婦の10日にわたる旅日記で、ちょうど明治20年の1月24日に出発した旅です。木下から三ツ堀に向かう途中の船中の様子が書かれているとあります。
また、p69<三ツ堀・今上巻の陸路連絡>という項目では資料の説明に「三ツ堀・今上ルートは、明治23年3月の利根川開通以前には江戸と利根川を結ぶ重要なルートのひとつで、「東京旅日記」の老夫婦が三ツ堀で下船したのち大雨の中を今上鹿島で歩いたと考えられるルートが記されています。」と記述があります。
この他、いただいた追加情報の内容も含めて、関連記述の掲載資料をご紹介します。
【資料2】『千葉県の歴史 通史編近現代1』のp639?「第1節房総の水運」「1船が結ぶ東京都房総」p643?「2 内陸の水運」の項目があり廻漕会社の設立や経緯、交通事情などが記述されています。三ツ堀銚子間の明治20年の状況についてはみつかりませんが、関連したものとしては、p644に、1884年に航路を東葛飾郡三ツ堀(野田市)に延長して下利根川は同盟汽船が、野田以南の江戸川は通運丸が航行したとの記述があります。また、p645に銚子-東京間の運賃は1888(明治21)年10月11日の『東海新報』によれば63銭で、上等は3割増しであったなどということや所要時間などが簡単に記述されています。
【資料3】『水郷汽船史 ふるさと文庫』のp15「通運丸航路開設一覧」という表の航路延長の項目に「明18.317」に「三ツ堀?銚子間増便」と記載されています。また、p17の「銚子汽船会社の所有船舶及び航路」表があり、「明治16.8」の項目に項と解説状況として「銚子?三ツ堀」と記載があります。
【資料4】『新編・川蒸気通運丸物語 利根の外輪快速船』は、タイトル通り1冊が通運丸の資料を織り込んだ物語です。p14?15に「明治中期頃の通運丸航路図」が掲載されています。この図が何年のものかという記載はなく、すでに利根運河の航路が記入されています。
【資料5】『那古史』p936に、明治14年に設立された「安房汽船会社」が「房州丸を始め汽船3隻を霊岸島との間に就航させた」と記載されています。その後の房州航路の変遷や船賃についても記載されています。
また、【資料10】『内国通運株式会社発達史』についてですが、千葉県内の所蔵はありませんでした。国会図書館で所蔵されており、「デジタルコレクション」で本文をご覧になることができます。
国立国会図書館のホームページのトップページの左側に「国立国会図書館デジタルコレクション」の入り口があります。ここから入って『内国通運株式会社発達史』で検索をかけると、本文が出てきますのでご利用ください。このデジタル資料の34?35コマ目には「明治21年4月編製 内国通運会社通運線路略図」があります。日本地図上に路線が記入されていて、拡大もできますが、細かいところまでは多少判別が難しいようです。また、72コマ目からの「汽船通運丸航運事業の創設」の項目に利根川の航路に関する経緯が記述されています。75コマ目には、房州航路の記述もみられます。
この他参考として、明治時代の廻漕会社や水運の状況が書かれている【資料6】?【資料9】を参考にご紹介します。
(紹介資料一覧)
【資料1】『図説・川の上の近代 通運丸と関東の川蒸気船交通史』(川蒸気合同展実行委員会2007)
【資料2】『千葉県の歴史 通史編近現代1』(千葉県千葉2002)
【資料3】『水郷汽船史 ふるさと文庫』」(筑波書林1984)
【資料4】『新編・川蒸気通運丸物語 利根の外輪快速船』
(崙書房出版2005)
【資料5】『那古史』(那古史編纂委員会 那古地区連合町内会 2007)
【資料6】『利根川汽船航路案内』(崙書房1972)
【資料7】『利根川ハイウェー 利根川水運の盛衰を探る』(千葉県立関宿城博物館1996)
(千葉県立中央図書館 千葉県資料室)
【資料8】『利根川舟運と利根運河 平成22年度企画展』(千葉県立関城博物館2010)
【資料9】『川蒸気船銚港丸の誕生とその終焉 船主吉岡七郎の活躍』木下まち育て塾2011)
(当館未所蔵)
【資料10】『内国通運株式会社発達史』(内国通運1918)国立国会図書館デジタルアーカイブ
(返礼)
担当者 さま
ご丁寧な資料紹介のご回答ありがとうございます。
今回の調査の切っ掛けになったのは、漱石の「木屑録」の行程の中で銚子~三ツ堀間の表現が保田や小湊に比べ、はしょった感じに思えたからです。
先だって行われた漱石・子規の房総鋸山探勝碑除幕式の特別講演で、武蔵大の欒 殿武先生が同様の感想から当時の利根川の通行状況を調査され、先の資料の所在の説明をいただきました。そして、漱石の木屑録を読んだ感想を添えられておりました。(以下、略)
2014/5/31(土) 午後 1:20