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実行力

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実行力 橋下徹 著 PHP

内容紹介

38歳で大阪府知事に就任し、数々の改革を成し遂げてきた橋下徹氏。
大阪府庁1万人・大阪市役所3万8千人の職員、組織、そして国をも動かして結果を出してきた秘訣とは何か。
 【目次】
●第1章 まずは、人を動かす―実行のための人間関係、人事の要諦 
●第2章 本当に実行すべき課題はどう見つけるか―橋下流・問題解決のノウハウと、マインドの持ち方 
●第3章 実行し、信頼される人の条件とは―部下は結局、上司の背中を見て動いている 
●第4章 実行のための「ビジョン作り」と「チーム作り」―結果を出す「仕組み」はこう作る 
●第5章 上司を動かし、提案を通す―「トップの視界」を想像しながら仕事をする 
●第6章 情報を制する者は、組織を制す―強い組織は、情報共有の横串がしっかり入っている 
●第7章 日本と大阪を「実行できる組織」にするために―徹底的に考え抜かれた大阪都構想の実行プロセス

橋下流「君主論」の全貌を明かす。

人心掌握・課題解決・マインドセットetc.4万8000人の組織を動かしてきた橋下流「君主論」の全思考! 

手足を動かし、脳みそに汗して、4.8万人の組織を動かした8年を初めて語る

●府知事就任わずか4カ月で約1100億円の収支改善の改革案成立
●“聖域”役所職員の終身雇用制度にメス
●大阪府・市の二重行政の解消
●“聖地”大阪城公園の民間管理委託
これは2008年、38歳での大阪府知事就任以降、橋下氏が実行してきた改革のごく一部です。
これほど短期間に、若くして4万8000人もの組織を動かし、「不可能だ」と言われてきた数々の改革をいかにして成し得たのか。賛否両論巻き起こす攻撃的な発言に隠された真実と、橋下流「君主論」の全思考を明かします。

[「はじめに」より]
あるべき姿を説くことも、もちろん必要。
しかし、今求められているのは、そうしたあるべき姿に近づくために、手を動かし、足を動かし、脳みそに汗をかいて「実行していくこと」ではないでしょうか。

『実行力』 参考資料


■【橋下氏政界進出後】あらゆる指標が改善しビッグイベント目白押しの大阪
かつて慢性的な財政赤字に苦しんでいた大阪府・市はいま、あらゆる指標が改善し、今後もビッグイベントが続々開催される予定です。

○インバウンド客 (’08) 222万人→(’17) 1,110万人
○失業率 (’08) 5.3%→(’17) 3.4%
●2013年 グランフロント大阪開業
●2014年 あべのハルカス開業
●2019年 G20大阪サミット2019
●2024年 カジノを含む統合型リゾート開業
●2025年 大阪万博開催



この活気ある大阪復活のターニングポイントは、橋下氏の政界進出を抜きには語れません。



橋下 徹(はしもと・とおる)
大阪府立北野高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。1998年、橋下綜合法律事務所を開設。
2008年に38歳で大阪府知事、2011年に大阪市長に就任。大阪府庁1万人、大阪市役所3万8000人の組織を動かし、絶対に実現不可能と言われた大阪都構想住民投票の実施や行政組織・財政改革などを実行。2015年、大阪市長を任期満了で退任。
現在は弁護士、タレントとして活動。著書に『政権奪取論 強い野党の作り方』(朝日新書)、『沖縄問題、解決策はこれだ! これで沖縄は再生する。』(朝日出版社)など。




ド文系大国 日本の盲点

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ド文系大国 日本の盲点 高橋洋一 三交社

内容紹介

日本が危ないというプロガンダを論破する!

自分の国を知らない文系脳が国を滅ぼす!

あなたはどこまで日本という国を知っているのか?
最も危険なド文系脳に警鐘を鳴らす一冊。

【もくじ】
第一章「数量政策学」の文系人間向けイロハ
●数量政策学という言葉
●話が説得力にかけるから持ち出す「気持ち」
●数量的とはどういうことか
●アベノミクスの数量政策学的採点
●アベノミクスはB評価の数量的理由
●ゼロか一〇〇かはナンセンス
●数量分析のできない人がパニックになる
●リスクという言葉の使い方
●データのないことは議論にならない
●女性蔑視で叩かれたハーバード大学学長
●価値観の話は、好きにやれということでしかない
●国会議員は言論人ではない
●わからないことはわからない
●AIを恐怖することの意味のなさ
●AIに政治はできるか
●知識のある感性でなければおもしろくない
●主観とはただのヤマカン

第二章 言葉に頼るから言葉に騙される
●絵空事と現実が頭の中で別れないことの不思議
●なぜわかってくれないのかという文系の展開
●文系のうえに体育会系の典型
●疑問に思ってはいけないという精神論
●数学で言わなければ理不尽が通る
●加計学園は認可を止められていたのではない
●前川発言をロジカルに見る
●SF映画をひいて現実を語る人々
●正確な知識を入れると激昂はない
●郵政民営化にまつわる嘘
●文系を騙すのは言葉を使えば簡単
●煽られる人が増えるから煽りが増える
●右左かかわらず雰囲気だけでしゃべる人々
●タイムゲームという素晴らしき手抜き

第三章 財政破綻というプロパガンタ
●煽るためには数量的は話はしないこと
●「借金」という言葉に誤魔化されるな
●「現在価値」とは何か。負債の話だけする理由
●勤める会社の借入金を知らない日本人
●財務省は政府の中の経理部門
●経理屋の性として嘘をつく財務省
●消費増税は行う必要がない
●数字に弱くなりやすい日本の環境
●アメリカの数学教育
●問題はない、は気分の問題ではない
●景気の見方 ●本当は雇用だけをやっておけば良い
●先が読めないから嘘をつく財務省
●評価ということの考え方
●株価と為替についての考え方

第四章「平和」を数量的に考える
●「場合分け」の重要性
●戦争に巻き込まれない可能性とは
●最も危険なマッチョな自主独立防衛論
●米中の経済摩擦は中国が負ける
●超合理的に考えれば戦争はなくなる

第五章「統合型リゾート(IR)整備推進法案」で変わること
●世界標準ではない日本のギャンブル
●確率の話が薬になるギャンブル中毒
●世界標準が日本のギャンブルを掃除する
●IR法がパチンコを駆逐する
●IR法案には反対しない

第六章 安倍「憲法改正」の数量的見方 〜消費増税をめぐって〜
●ポイントは二〇一九年七月の参議院選挙
●三分の二の議席をとるための手
●二〇二〇年を予測する
●冷静が希望を生む
●消費増税中止を目的とする憲法改正、という視点
●政治家は必ず官僚に勝てる

第七章「官僚国家」であることの切実な理由
●「三権分立」が官僚を考える時の基本
●問題は立法ができない政治家
●立法能力のない政治家の簡単な見極め方
●マスコミ登場回数は政治家の評価にならない
●一般の政治家のイメージのぶれ
●議員が多すぎる、という意見のみかた
●目も当てられない地方議会
●税金の問題が議会の基本
●意外に中央集権なイギリスとその逆のアメリカ
●現金な世界は一つの知恵
●官僚が政治家を育てることはありえない

第八章 官僚がマスコミをコントロールできる理由
●官僚に依存しなければ新聞はできない
●衰退の一途をたどるマスコミ
●学歴が低すぎる日本のジャーナリスト

内容(「BOOK」データベースより)

データを読めないド文系人間が日本を滅ぼす!「数量政策学」とは何か?言葉に頼るから言葉に騙される。財政破綻という財務省の煽動。戦争を数量的に考えろ!「統合型リゾート(IR)整備推進法案」には反対しない。「憲法改正」の数量政策学的アプローチ。「官僚国家」に騙されるな!憲法改正、消費税増税凍結の秘策。


ド文系では分からない 日本復活のシナリオ

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ド文系では分からない、日本復活のシナリオ 高橋洋一 著 三交社

内容紹介

バカどもに流布される日本危機論に目を奪われるな!

【目次】
第一章 論理的思考と数学的アプローチの重要性
◆論理的思考と数学的アプローチが理解への第一歩
◆会計学を知れば世界の見方が変わる
◆年金は破綻しない
◆年金は保険である
◆国民年金
◆年金制度の問題は?

第二章 論理的・数学的思考で読み解く諸問題
◆アベノミクスは及第点
◆住む世界が違う大蔵官僚
◆アベノミクスの景気拡大とは

第三章 統計不正の何が問題なのか
◆与党も野党もメディアも幼稚園レベル
◆問題はなくとも許されるものではない
◆歳入庁を新設せよ

第四章 人口減少を恐れるべからず
◆人口減=デフレ、の嘘
◆AIなんてただのプログラムだ
◆財テクでお金は増えません
◆生命保険はその半分が手数料
◆公金は仮想通貨でまかなうべし
◆人口増に必要なのは政策よりも性交だ
◆子育てに関わるコスト
◆移民の受け入れ

第五章 国債
◆国債を知れば日本の財政が分かる
◆国債の位置づけ
◆日本国債の「暴落論」に異議あり

第六章 日本の未来像
◆不安しかない中国の未来
◆合理で考えれば日米重視一択しかない
◆フィリップス関係
◆わかりやすいトランプ像
◆北方領土解決は七〇年後
◆経済オンチの文在寅に未来はない
◆韓国レーダー問題

あとがき

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

高橋/洋一
1955年、東京都に生まれる。東京大学理学部数学科・経済学部経済学科卒業。博士(政策研究)。1980年、大蔵省入省。理財局資金企画室長、プリンストン大学客員研究員、内閣府参事官(経済財政諮問会議特命室)、総務大臣補佐官などを歴任し、郵政民営化、政策金融改革を企画立案。その後、2006年から内閣参事官(官邸・総理補佐官補)。2008年退官。金融庁顧問等を経て、嘉悦大学教授、

日本史ひと模様 上総広常

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日本史ひと模様 上総広常
頼朝に疎んじられた有力御家人

2019-5-25 日経
『吾妻鏡』という書物がある。鎌倉時代後期に成立した、幕府の正式な歴史書である。幕府のトップに位置する将軍のこと、執権を務めて実権を掌握する北条氏のこと、御家人たちのことなどが詳しく書いてある。中世史研究者には、とても大切な本なのだ。


この本は、他の書籍と同様、世の乱れとともに一時散逸していた。だが戦国時代の後北条氏が質の良いものを持っていた。後北条氏は小田原城が落城して滅びるというときに、いろいろと世話になった黒田官兵衛にこの本を贈呈した。官兵衛の息子の長政は徳川将軍家に、同書を献上した。江戸幕府はこの本を大事に保管し、明治維新を迎えた。これが『北条本 吾妻鏡』で、『国史大系』の一冊として活字化された。いま私たちが手軽に参照するのがこの本である。

ところが最近、東京大学史料編纂所の井上聡准教授の研究により、右記の定説が崩れようとしている。『北条本 吾妻鏡』がかつて散逸していたことは間違いないのだが、お金と手間をかけて日本全国からこれらを収集し復元したのは、他ならぬ徳川家康だというのだ。家康が『吾妻鏡』を愛読していたことは知られているが、『吾妻鏡』の収集は秀吉が存命中からすでに行われていたらしく、そうすると家康が大坂や伏見や京都でなく江戸に幕府を開いたということ自体、鎌倉に拠点を定めた源頼朝の模倣といえるのかもしれない。ともあれ、『北条本 吾妻鏡』の名称は『家康本 吾妻鏡』に変更した方が良さそうなのだ。

家康は綿密に『吾妻鏡』の復元に努めたが、それでも欠如している部分がある。有名な箇所を挙げるなら、たとえば頼朝が亡くなる前後の記事は見当たらない。それに触発されて、頼朝は義経の亡霊を見て落馬して死んだとか、いや平家の亡霊だとかの説が現れた。真山青果は畠山重保(勇者・重忠の子)が頼朝を斬る『頼朝の死』という作品を書き、歌舞伎の演目となっている。もちろんこれはフィクションなのだが。

同じようなことは他にもある。『北条本 吾妻鏡』第二は寿永元年(1182年)十二月三十日条で終了している。次の第三は寿永三年(1184年、四月十六日に改元し元暦元年)正月一日から始まっている。つまり、寿永二年(1183年)がまるまる抜け落ちている。

これはなぜか。家康が見つけることができなかったのか。それとも元々(もともと)なかったのか。寿永二年は源(木曽)義仲が獅子奮迅の活躍を見せる年であり(七月に平家を追い落として都に入る)、鎌倉幕府成立の大きな画期となった「寿永二年十月宣旨」が出された年でもある。この年の記事が現存したら事情がもっと分かるのに、と歯がみをする研究者は少なくない。

この年の冬、上総国を代表する有力御家人、上総広常が頼朝によって誅殺(ちゅうさつ)された。彼は治承四年(1180年)の九月、石橋山の戦いで大敗した頼朝が房総半島で再起を図ったときに、多くの武士を引率して頼朝の麾下(きか)に馳(は)せ参じた功労者であった。彼の帰参を得たことにより、南関東の武士は続々と頼朝のもとに集結し、源氏軍はたちまちのうちに優勢になった。その彼がなぜ、討たれねばならなかったのだろうか。

頼朝という人は、弟の義経を死に追いやったために「冷たい」「酷薄」というイメージがついて回るが、不遇のときに温かく接してくれた人物にはしっかりと恩を返す一面があった。彼を最初に認めたのは北条政子だったかもしれないが、この糟糠(そうこう)の妻を堂より下さなかった。また、流人時代から仕えてくれた安達盛長には広大な荘園を与え、重く用いている。政子と結ばれる前、彼は伊豆の伊東祐親の娘との間に子をなしたが、そのことを知った祐親は二人の間を裂き、子を殺し、頼朝を討とうとした。このときに急を知らせて彼を逃がしたのが祐親の子、祐清であった。鎌倉で成功した頼朝は祐親を許さなかったが、祐清については自らの陣営に迎え入れようとしている(祐清は頼朝の招きに応じず、平家の軍に加わって源〈木曽〉義仲との戦いで戦死した)。

さて広常だが、普通に考えて彼の実力は大きすぎ、それゆえに疎んじられ排除されたと解釈することができる。『吾妻鏡』の記事によると、広常は2万騎を率いて頼朝のもとにやってきたという。これはにわかには信じがたい。ぼくはその国にその人あり、と知られる武士が養っている兵は300くらいと考えている。2万は盛りすぎだろう。

要するに広常の勢力は、他の有力武士、たとえば先述の伊豆の伊東、相模の三浦、武蔵の畠山、下総の千葉らに比べても頭一つ抜けていた、と見るべきだろう。だからこそ、頼朝に警戒され、命を奪われた。そう考えると納得できる。でも、もう少し深く考えることもできそうだ。それは次回に。(歴史学者)

日本経済 低成長からの脱却

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日本経済低成長からの脱却
雇用システムの改革を提唱

2019-5-25 日経 読書
本書は、アベノミクスの立案に役割を果たした著者が、日本経済復活のために必要な長期的戦略を、行政の立場を超え、大局的な見地から論じたものである。


この30年余りの間に、グローバル化の進展で世界経済の構造は劇的に変化したが、日本はその潮流から取り残され、経済は低迷し世界における地位も著しく低下した。アベノミクスによって景気は緩やかに回復したが、将来の「成長」に向けた具体的施策は、明確には示されていない。低成長から脱却し、将来世代が豊かに暮らせるためには何をなすべきか。

本書は、そのカギとなる労働生産性の問題と、根底にある雇用システム改革の必要性に焦点を当て、日本経済復活への道筋を示す。著者によると、IT(情報技術)化による生産構造の変化は、発展途上国の成長と先進国の成長鈍化をもたらした。先進諸国はそれでも2~3%の成長を維持しているが、日本は1%以下の成長にとどまる。生産・投資活動の一極集中と過疎化がグローバルに進むなか、日本は「企業に選ばれない過疎化地域」に転落してしまった。

一部の日本企業は成長を続けているが、大半は海外投資の成果である。低迷の最大の原因は、日本企業の強みだった終身雇用制度が、非硬直的コスト構造として企業の成長に必要なリスクテイクや投資活動の阻害要因となり、労働生産性が伸びなくなっていることにある。可処分所得が増えず、多くの人々が景気回復の恩恵を実感できないのも、そこに原因がある。

国民の生活が豊かになるためには、労働力がより生産性の高い分野に、賃金の上昇を伴って効率的に移動できる環境が必要だ。雇用システムの変革は国レベルのプロジェクトであり、社会保障制度や国民負担のあり方も根本的に変える必要があると著者は指摘する。

日本経済が再び成長できるかどうかは、高齢者に手厚い社会保障制度を見直し、職業教育などを通じて国が若い世代に積極的に投資し、流動的で柔軟な雇用システムをつくれるかどうかにかかっている。成長は財源の確保によって制度の持続可能性にも資するだろう。日本の将来を考える上で世代を超えて国民全体が考えるべきテーマを明快に提示した好著だ。

《評》帝京平成大学教授

小関 広洋

(NTT出版・1900円)

まつもと・たかし 52年生まれ。東大法卒、大蔵省(現財務省)を経て内閣府事務次官。現在、国家公務員共済組合連合会理事長。

ROEを超える企業価値創造

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ROEを超える企業価値創造
株主の信頼得る経営を求める

2019-5-25 日経
かつて日本のコーポレート・ガバナンス(企業統治)を支えたのは銀行だった。メインバンクが経営をチェックし、株式を持ち合い、人材も送り込んた。この「バンクガバナンス」が後退した後の日本企業に残ったのは「生え抜きサラリーマン経営者ガバナンス」だったと本書は指摘する。


投資家との対話の一場面として、こんな議論が紹介されている。経営者は手元にため込んだ現金について「Our(我々の)」という言葉を使い、投資家が慌てて「Our」と修正する。終身雇用の閉じた組織のなかで出世レースに勝ち抜いた社長にとって稼いだ現金は会社のものであり、株主の資本を元手にしているとの発想は乏しかった。経営者が現金をうまく使ってくれると株主が信頼しないから日本株は低迷してしまった。

軽視されてきた株主に光を当て「エクイティガバナンス」を強化する流れはようやく出てきた。トップの選解任の権限を社外取締役が主導する取締役会が握るようになれば、経営の緊張感はぐっと高まる。自己資本利益率(ROE)を重視すべき理論的な背景や、見えない資産とされる非財務資本をどう数値化して考えるか。株式市場に精通した3人の専門家がそれぞれの知見や分析を持ち寄っている。(日本経済新聞出版社・2200円)

経済で読み解く日本史

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経済で読み解く日本史 上念司 著 文庫版

学校教科書が決して触れない「経済の掟」を日本史に当てはめたら、
歴史上の出来事のあいだに衝撃の因果関係が次々と見えてきた!
お金の流れが物語る、面白くて新しい、私たちの通史。

第1巻<室町・戦国時代>
織田信長はなぜ寺社勢力と対決し、日本を戦国時代から救いだすことができたのか。
貨幣量の変化と画期的な政治経済政策に見る、中世を終わらせた意義。

第2巻<安土・桃山時代>
日本の銀輸出による経済のグローバル化と進み過ぎた貨幣経済の混乱。
秀吉の短期間での天下統一を促し、対外政策をも誤らせた真相に迫る。

第3巻<江戸時代>
世界最強の資本主義経済を作りながら、石高制によって限界を迎えた徳川幕府。
民需主導の経済発展が幕藩体制を崩壊へ導いた。

第4巻<明治時代>
秩禄処分への不平士族の「お金の恨み」が日本を対外戦争に駆り立て
、新聞に煽られた世論はやがて英米と離反・対決する道を選んでしまう。

第5巻<大正・昭和時代>
日本人を戦時統制と大東亜戦争へ導いた金本位制とデフレ経済の罠。
本当は避けられた昭和恐慌と日米激突、そして戦後復興の本当の教訓とは。

漱石[明暗]の漢詩

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漱石[明暗]の漢詩  田中 邦夫(著)

漢詩に込められた、漱石の真実とは−。「明暗」執筆の背景とその時作られた漢詩から、漱石の深層心理に迫る。総論、「明暗」の日常生活描写における漢詩の役割、「明暗」の非日常世界創作と漢詩の3部構成。

  • 第一部 総論
    • 第一章 『明暗』執筆日と漢詩創作日との関係
    • 第二章 『明暗』と漢詩の「自然」
    • 第三章 『明暗』における「自然物」と「西洋洗濯屋の風景」
  • 第二部 『明暗』の日常世界描写における漢詩の役割
    • 津田の留守宅にて
    • 第一章 お延と小林の対座場面の最後−『明暗』期漢詩の表層と深層−(八十九回〜九十回)
    • 病室にて
    • 第二章 津田とお秀の対話−『明暗』の語と漢詩の言葉−(九十一回〜九十八回)
    • 第三章 津田・お秀・お延の会話場面(百三回〜百十三回)
    • 第四章 小林の津田に対する強請り(百十六回〜百二十二回)
    • 堀家にて
    • 第五章 お延とお秀の戦争(百二十三回〜百三十回)
    • 病室にて
    • 第六章 吉川夫人と津田との対話(百三十一回〜百四十三回)
    • 第七章 お延の津田に対する「愛の戦争」(百四十四回〜百五十四回)
    • フランス料理店にて
    • 第八章 小林の造型と七言律詩(百五十五回〜百五十七回)
    • 第九章 構想メモとしての五言絶句(百五十七回〜百五十八回)
  • 第三部 『明暗』の非日常世界創作と漢詩
    • 温泉場の場面
    • 第一章 津田の「夢」−清子との邂逅−(百七十一回〜百七十七回)
    • 第二章 清子の形象(百七十八回〜百八十八回)
  • 補章 『明暗』第二部の舞台
    • 1 『明暗』構想の原型
    • 2 『明暗』の温泉宿、天野屋旅館の大正四年末頃の建物配置について
〈田中邦夫〉1943年生まれ。大阪市立大学文学研究科博士課程中退。大阪経済大学(人間科学部)名誉教授。著書に「二葉亭四迷『浮雲』の成立」「漱石『明暗』の漢詩」がある。


漱石「道草」の詩学

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漱石「道草」の詩学

漱石「道草」に描き込まれている根本的テーマを、主人公健三の顕在化している意識と回想によって顕現する過去の意識との繫がりを「あとづける」ことによって、明らかにする

  • 第Ⅰ部 主人公健三の意識の推移と語り手の視線
    • 第一章 『道草』の言葉の基本的特徴(一・二回)
    • 第二章 生活世界に接触する健三の意識の特色(三回〜二十三回)
    • 第三章 健三の血縁世界(二十四回〜三十七回)
    • 第四章 幼児期健三の孤独と心の傷(三十八回〜四十五回)
    • 第五章 語り手と洋燈の象徴性(四十六回〜五十回・八十回)
    • 第六章 健三における自己・神・類の意識−『心』との繫がり−(五十四回・五十七回・六十一回)
    • 第七章 追憶や連想によって描かれた健三夫婦の個我意識と類の意識の交差−展開の方法−(五十回〜六十五回)
    • 第八章 教育と野生、血の繫がりと根源的自己意識−貫いているテーマと語り手の視線−(六十六回〜六十九回)
    • 第九章 健三と比田との同質性と異質性、および健三の夫婦観と細君との諍い−健三の意識の動きと語り手の視線−(七十回〜七十一回)
    • 第十章 「義父の連印依頼」と健三の内面劇(七十一回〜七十九回)
    • 第十一章 健三における言葉の論理の絶対化とその矛盾の自覚−健三の意識と語り手−(八十二回〜八十八回)
    • 第十二章 島田との決裂によって想起される諸場面と心の傷克服への動き−健三の意識に映る細君と赤ん坊の姿−(九十回〜九十三回)
    • 第十三章 健三における世俗での責任を果たそうとする現実意識の確立(九十四回〜九十七回)
    • 第十四章 健三の現実意識と純粋な人間的意識との葛藤(九十八回〜百二回)
  • 第Ⅱ部 『道草』の主要テーマの分析
    • 第一章 『道草』の「自然」
    • 第二章 細君に対する健三の「情愛」の性格
    • 第三章 漱石手帳に書き込まれた『道草』の方法
〈田中邦夫〉1943年生まれ。大阪市立大学文学研究科博士課程中退。大阪経済大学(人間科学部)名誉教授。著書に「二葉亭四迷『浮雲』の成立」「漱石『明暗』の漢詩」がある。

日本史ひと模様 上総広常 下

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関東自立唱え頼朝を批判

2019-6-1 日経
前回、上総広常について触れた。彼は『吾妻鏡』によると微少な兵力しか持たない源頼朝のもとに現れ、臣従を申し出た。実際に会ってみて頼朝が人の上に立つ器にあらず、と判断したら討ち取ってやろうと思っていたのだが、頼朝の威厳に感じ入り、忠節を尽くすことを誓ったという。


イラスト・富永 商太
このとき広常は2万騎を率いてやってきたというが、これはどう考えても多すぎる。要するに広常は有力な武士(有力武士は300ほどの兵を養っているようだ)の中でもとくに優勢な力を保持していた。2万騎というのは「たくさん、ものすごく多い」の意味だろうと何の気なしに思っていた。ところが最近、壬申の乱について調べていたら、面白いことを見つけた。

壬申の乱は天智天皇の後継の座を巡って672年に起きた、天皇の弟・大海人皇子と子・大友皇子の軍事衝突であり、この戦いに勝利した大海人皇子が天武天皇として即位した。天智天皇が亡くなったとき、大海人皇子は吉野に隠棲(いんせい)していたが、やがて鈴鹿を通って尾張・美濃に入り、不破の関近くに本営を構える。ここで東国の兵を集めて、兵力差で近江の大友皇子の軍を打ち破るのである。

大海人皇子が伊勢から美濃に移ったときに尾張国司守の任にあった小子部●鉤(ちいさこべのさひち、●はかねへんに且)が2万を率いて加わった。皇子はたいへんに喜び、この兵を軍事に活用したという。もちろん、2万は誇張に違いない。広常の場合と同じである。しかもこの●鉤、大功労者であるはずなのに、乱が終了すると自殺してしまう。この辺りも広常の運命に似ている。もしかしたら『吾妻鏡』の編纂(へんさん)者は『日本書紀』をよく知っていて、広常に●鉤を重ね合わせたのかもしれない。

よく東国の源氏、という。たしかに源氏のヒーロー、八幡太郎義家の頃、南関東の有力武士たちは源氏と主従の関係を結んだ。だが義家の子の義親、孫の為義が粗暴でボンクラであったため出世できず、主従の絆は一旦は消滅したと見た方が良い。源氏の勢力圏を再構築したのは「オヤジに任せていたら、源氏の将来はない」と一人関東に下った、為義の子、頼朝の父である義朝であった。彼は広常の父・常澄の世話になって関東で大いに名を挙げ、「上総御曹司」を名乗った。1143年には上総氏を助ける形で相馬御厨(取手、我孫子、流山、柏などにまたがる広大な荘園)に乱入している。

このとき相馬御厨事件において、義朝に敗れ、臣従を強いられたのが、鎌倉幕府の有力御家人となる千葉氏であった。後に義朝は京都に帰って保元の乱・平治の乱を戦うが、上総広常は両方に、千葉常胤は保元の乱のみに義朝の麾下(きか)として参加している。平治の乱はいわばクーデターで、信頼できる者だけを義朝は招集した。このことからも、義朝の信頼度は、「上総∨千葉」だったと思われる。

ところが、頼朝が房総に敗走してきたときには、この関係が逆転する。千葉常胤は一も二もなく源氏軍への参加を決めた。これに対して広常はなかなか動かず、状況を見定めていた。その結果ようやく重い腰をあげ、とはいえいざとなったら頼朝を討つ可能性も捨てずに頼朝に会いに行ったのである。

このあたりの武士たちの駆け引きから分かるのは、源頼朝という武家のリーダー候補への関東武士の「ドライな視線」である。広常を動かしたのは、江戸時代の「主人のためならば喜んで命を差し出します」というような、絶対的な「主人―従者」の絆ではなかった。頼朝は使えるのか。わが上総家にとって利益になるのか。それをシビアに見定めていた。

そしてそういう思惑を秘めていたのは、広常だけではあるまい。多くの関東武士が、「わが家にとって得か、損か」で頼朝への与同を決めたに違いないのである。

1190年に上洛(じょうらく)した頼朝は、後白河上皇と語り合ったとき、広常について言及した。「彼は、オレたちは朝廷に関わりなく、関東だけでやっていこうと、関東第一主義を唱えた。朝廷と交渉しようとする私を批判した。だからやむなく、排除したのだ」と語ったという(『愚管抄』)。この頼朝の述懐はウソではあるまい。

当時の関東には、いわば「関東自立」を良しとするグループがあった。その代表こそは広常であった。一方の頼朝は朝廷と交渉し、鎌倉の軍事集団を朝廷に公認させようとする道を模索していた。その結果、朝廷は「寿永二年十月宣旨」という命令を下し、頼朝とその部下たちの働きに正統性を与えた。この宣旨を得たときを幕府成立の画期とする学説は今なお有力だが、ともあれ宣旨の獲得に前後して広常の殺害が指示・実行された。公武協調を模索する頼朝の目には、広常はジャマ者と映ったのであろう。

(歴史学者)




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